【滋賀】『子ども食堂全国交流会inしが』で子ども食堂について考えてきた

会場は全国から子ども食堂に関心のある方が集い満員でした

滋賀県は社会福祉協議会を中心に、仕組みとしての「子ども食堂」に早くから着目し、様々な施策を展開している先進地域のひとつだと思います。

「この子らを世の光に~子ども食堂全国交流会inしが」が開催され、わたしが活動している地域の方で、子ども食堂を考えている方と一緒に参加してきました。

子ども食堂とは
地域の大人が子どもに無料や安価で食事を提供する、民間発の取り組み。貧困家庭や孤食の子どもに食事を提供し、安心して過ごせる場所として始まった。そうした活動は古くからあるが、「子ども食堂」という名前が使われ始めたのは2012年。最近は、地域のすべての子どもや親、地域の大人など、対象を限定しない食堂が増えている。食堂という形を取らず、子どもが放課後に自宅以外で過ごす居場所の中で食事を出しているところもある。(朝日新聞2016.7.2)

問題を自覚した人が動き出すことの重要性

辻哲夫さん、上野谷加代子さんのパネルトークで場がスタート。

オープニングは障がい者の問題に深く関わった糸賀氏のお話。日本の知的障害者福祉の父と言われる糸賀氏は、重い障害を持った子のための施設「びわこ学園」を設立されました。

「この子らに光をあてていこう」はありふれた言葉。「この子らを」というのは、この子らに学ぼうという気持ちを前面に表した言葉です。

戦後に子どもとりまく環境はけっしてよいものではなく、発展していく中で様々な問題が解決されていきました。しかし最後に残ったのが障がい者という状況の中で、「気がついた人間がやろう、気がついた人間がやるのが責任だ」というスタンスで取り組まれました。

「糸賀氏が生きていたら、きっと『子どもの貧困』の問題に力をいれていた」と辻さん。

子ども食堂の特徴として、辻さんの厚労省勤務時代、「子どもの貧困の問題が国会で質問にでたことはない」という点から、市民の運動が政治・行政を動かした点を指摘していました。

所得格差、世帯構造の問題が社会に溜まり続け、ふきだしはじめていく中で、この問題にいち早く気づいて動きだしたきっかけは、困った子どものまわりの市民の「ほっとけない」という気持ちでした。

同様に上野さんも、子どもの貧困の問題をいわゆる専門家が提起できなかったことは、「国も研究者もどうなっているのか、と市民から突きつけられた」と表現されていました。

子どもの貧困はまさに、日本が総中流と言われ、今でも「うちの地域に貧困の子なんていない」と言われる事もあり、そういった認識が多いと思われます。

その中でいち早く問題に気づいた市民がおこしたアクションと、それが広がっていき制度を動かすというプロセスは、市民の活動として学び多いものです。

子ども食堂をめぐる賛否

上野さんは、「月1回の食堂はダメ、それでもいい、という論争はもったいない」と表現されていました。子ども食堂に対して、食事を提供するなら月1回の活動にどんな意味があるのか、という点を指摘する声も確かにあります。

また、子ども食堂についても多様な角度から意見がでるようになりました。

子ども食堂では何を大事にしていかないといけないのか?という上野さんの問いに、辻さんは以下のように答えておられました。

辻さんは、地域で食事会をするというのは実は古典的なもので、決して新しい発想ではないと言います。

①高齢者の分野では、地域の一人暮らしのお年寄りの食事会が全国で実践され、その月1回の食事会では、そこでの会話や触れ合いの中で「生きづらさ」を発見できる事に価値がある。

②食事会のための資金を獲得するためにバザーなどが開かれるが、地域にこんなお年寄りがいるからお金を集めましょうと語り合うプロセスが地域が自覚者になることを促す。

という事から、子ども食堂にもこのような価値が生まれている事を指摘しています。

高齢者向け食事会から発展し、NPOが生まれたり、宅食サービスの事業が生まれている事も鑑みると、子ども食堂がさらに発展していく可能性があります。

要町あさやけ子ども食堂の実践から

特集された際の映像をもとに

滋賀の実践者たちが「ぜひ話をききたい」という声をあげ、今回の要町あさやけ子ども食堂の山田さんをお招きしての今回の場が実現したそう。山田さんの実践からのお話もまた、示唆に富んでいました。

山田さんは60歳まで普通の会社員として勤め上げ、定年されました。

第二の人生を模索しておられるさなか、奥様を亡くされ、仕事がなく奥様もいない、1人で暮らしていかなければならないという状況に陥ったそうです。

奥様は生前、ホームレスの支援としてパンを焼いて届ける活動をされていたそうで、奥様のメッセージとして、「パンを焼いてこれからも届けてほしい」とパンのレシピを託されたそうです。

パンを焼いて支援を行う活動を続けている中で、子どもの貧困の問題に触れ、この問題には取り組めないという感じられつつ、大田区で先行されている子ども食堂を見学にいくと、「これだったらできるかも」と感じられれたそう。

『暖簾に「子ども食堂」と書いてあって、この言葉がすばらしい』と感じられた山田さんは、家を改装し、飲食の営業許可を取得して翌年オープン。

現在では子どもとシングルマザーを中心に、様々な子どもが1食300円の食事を求めて集まっています。

4年目になる現在では、

参加者だったお母さんがいつのまにかエプロンをもってお料理側にまわった。
保健室登校をしていた子がいつのまにか、料理を手伝うようになり、遊びのリーダーになり、自分でつくった紙芝居をやるようになった。フリースクールだが、自分のいきさつをみんなの前で話すようになった。
80歳のおばあちゃんは食後のデザート担当に勝手になるようになった。
電話をかけてきて行けないことを謝ってきた。

というような参加者の変化が生まれているそう。

山田さんは調理師免許をもっているのに、料理をさせてもらえず、もっぱら自転車の整理をしていると笑っておられました。

要町あさやけ子ども食堂から見た「ひとを巻き込む子ども食堂のポイント」

目標は70点。100点は目指さない。

山田さんはホームレス支援も行う中で、「こうでなければならない」という話をしだすとなにも始まらなくなってしまうという体験を多くされたそうです。

目標は70点で、100点にならないから、新しいものが入ってくる要素がある。気づいた人が実践できるスキを残す事が大事と言われます。

「問題に気づいたけど、できるかな?」という方が自分でもこんな事ができるという気持ちになってもらう事が多くの方を巻き込むために大事な点。

反省会をしない。

ボランティアは基本的にやりたい時間に、やりたい事をやる、やりたくないことはやらないというのが大事。

山田さんは反省会をすると「これができていないから、当番制にしよう」となってしまうと言います。無償ボランティアのはずがやらされる側になっていく。

だから反省会はしないと山田さんは言います。

これからやろうという方に。

子ども食堂を運営していたら、「そもそも何をするか」という立ち上げの趣旨は様々あります。『どうやって集まれるか、お金の問題はどうするか』という話をしていくと「こうでなければならない」となっていく。

「片目つぶってなんとかなるよ、という気持ちで『小さく始めて大きくする』でっかく構えなくても十分参加してくるよ。」

というメッセージを送っておられました。

子ども食堂の活動の輪が広がっています

今回は子どもの貧困問題に詳しくふれず、シンポジウムで話された事を中心にまとめました。

経済格差により、環境によって勉強ができない子どもをサポートする学習支援活動が盛んにあんりましたが、勉強が教えられなくても関わる事ができる「子ども食堂」の活動の輪がひろがっています。

なぜこの活動に共感者が増えているのか、そんな一端が垣間見えるシンポジウムでした。

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